【インタビュー2017年5月】カンボジア1部リーグ プノンペン・クラウン所属 鈴木雄太選手②

どうも、ブクメです☆

プノンペン・クラウンFC所属の鈴木雄太選手へのインタビュー「【インタビュー2017年5月】カンボジア1部リーグ プノンペン・クラウン所属 鈴木雄太選手①」から続きます。文章が大変長くなっているため、3部構成で紹介します。インタビュー②は、大学卒業後から、現所属チームのプノンペン・クラウンFCへの加入前までの話になります。

それでは、インタビュー②をどうぞ!

 

(一通り、浦和の育成の選手の海外挑戦などの話をしつつ、オーストラリアはセカンドキャリアに向いていますよね、という話を挟みつつ、大学卒業後の話に移ります。)

 

ブクメ:それで、大学を卒業されて就職という流れ。ここから先ですよね?面白くなってくるのは。

 

鈴木:ええ、どうですかね?

 

ブクメ:大学卒業後は就職されているということですが、これは、大学4年の就職活動で決まったところと言うことになりますか?

 

鈴木:そうですね。4月に決まりました。就職先は、いわゆるベンチャー企業というところなんですよね。

 

今考えると、どうしてそう考えていたのかわからないところもあるのですが、みんなが行きたがるような大手などには行きたくなくて、ベンチャーに行って仕事に燃えるようなところを探していました。若気の至りと言うか、そういう思考になっていて、ベンチャーばかり受けていました。

 

やりたい仕事と言うよりも、やりたい仕事のタイプで選んでしまったことで、誰もが通る道だとは思うのですが、この仕事を長年やり続けることができるかと考えた時に、疑問が生まれてしまったんですね。会社が新宿にあって、住んでいた場所が東京で、大卒で給料も多くない中で、休みも少なく、たまの休みに朝まで同僚と遊んで使ってしまうような、典型的なサラリーマンのような生活を送っていたんですよ。

 

(ここで、オフレコですが、私が鈴木雄太さんに会うきっかけになった方との出会いのトークが入ります。)

 

ブクメ:疑問を抱いたところで新しいことに挑戦しようとなったのですか?

 

鈴木:本音を言うと、就職したものの、どこかでサッカーをしたい気持ちが、ずっと続いたものの、大学での出場経験も多くなかったですし、当時は、地域リーグなどでプレーするという考えはなく、情報もあまりなかったんですね。そのため、Jリーガーになれないのであれば、就職という選択肢になりました。

 

海外もよくわからなかったですし。同期で海外に行く選手が何人かいたのですが、凄いなと思うくらいで自分もという気持ちには、当時は、特にならなかったですね。サッカーをやりたい気持ちは、ずっとあったのですが・・・。

 

海外でプレーする選手や、地域リーグでプレーする選手のSNSなど見ながら、「いいな~」と思っていました。

 

もちろん、そういった選手たちも、しんどい思いをしていることも多かったと思うのですが、とにかく、毎日サッカーができていいなという思いが強かったですね。

 

ブクメ:それで、鈴鹿ランポーレの絡みのところに入ったのですかね?(経歴が複雑で理解できていないブクメw)

 

鈴木:そこに行くにも色々ありまして・・・、最初に就職した会社は、半年で辞めたんですよ。夏くらいに辞めるとしっかり両親に相談しまして、しっかり気持ちを順序立てて説明しました。(ブクメ談:補足で、その際に、実家にしっかり帰り、正座して、話したというところが、鈴木雄太さんらしいなと。)色々思うことは、あったと思いますが、尊重してくれたんですね。

 

それで、三重県に帰るわけではなく、そのまま東京で探そうと思い、FTA(フットボールトライアウトアカデミー)という・・大人のサッカー教室みたいなところがありまして、たぶん調べればわかります。

 

(調べてみました。フットボールトライアウトアカデミーhttp://www.football-tryout-academy.com/

 

結構お金は、かかりましたが、行ってよかったと思っています。未だに、そこの代表の方などと連絡をとっていて、相談などしています。基本的には、そこでサッカーの本質のようなものを学びながら、体を動かして、それで、時期が来たら海外挑戦や、トライアウトを受けるなどする流れで、国内のセレクションも受けに行きました。

 

そこで、初めて海外というものが頭に入ったわけですね。

 

ブクメ:ここの組織自体が、海外とつながりがあるとかそういうことですか?

 

鈴木:そうですね、代表の方自体は、特にそういう方向に行かせようとするのではなく、つながりのある方が来た時に、そういう話があるという情報などが来る感じですね。それで、そこから様々な国に行っている選手がいます。私も、会社を辞めた年の10月にタイにセレクションを受けに行っています。

 

ブクメ:経歴を見ていると、社会人になって最初のところを辞めて、鈴鹿ランポーレに入って、また辞めて別の会社に入ったようになっています・・・かね?(混乱中w)

 

鈴木:えと、それはですね。鈴鹿ランポーレは、働きながらでないとできないので、初めは、サッカースクールとチームのスタッフを選手兼という形でやっていたのですが、2年目は、仕事を変えたんですね(鈴鹿ランポーレの選手としてプレーしながら、仕事は1年目と2年目は、別のところをやっていたということでした。)

 

ブクメ:なるほど、そういうことでしたか。鈴鹿ランポーレは、所属している時は、関連の会社で働かなければならないということは、なかったのですか?

鈴木:そういうことはないですね。私が在籍していた1年目は、みんなアルバイトをしていましたね。私は、チームに正社員で雇ってもらったのですが・・・。

 

ブクメ:(再び経歴に混乱しながら)と言うことは、FTAは、鈴鹿ランポーレを辞めてからでしたか・・・あれ、そうではないか?

 

鈴木:FTAは、最初の仕事を辞めてから、鈴鹿ランポーレに入るまでですね。すごく、経歴を刻んでいるので。最初の会社を9月に辞めて、タイに行っていたりするので。

 

一ケ月くらいトライアウト行って、色々あって決まらず、一度帰ってきて、その時は、オーストラリアに行こうと思っていたんですよ・・・(笑いながら)でも、お金がなくて。

 

海外は、自分のお金で貯めて行かなくてはという気持ちがあったので、海外はまず止めて、地元の鈴鹿ランポーレに入りました。上のリーグを目指しているチームですし、その時に、初めて地域リーグも良いかなと思ったことがあります。大学生の時の自分に聞いたら、止めとけと言われそうですが。

 

ブクメ:このような形で2年間を過ごされていたということですね。(大学卒業後就職⇒9月に辞めて、FTAに入る⇒鈴鹿ランポーレで働きながらプレーするという期間)この2年間は、どうでしたか?

 

鈴木:まず第1に言えることは、チームに所属してサッカー出来るということが幸せだということを初めて強く感じました。タイに行ってうまく行かず、FTAに入っていたものの、そこでチームとして公式戦があるわけではありませんし。

 

すごく勉強には、なったんですけど・・・でも、正直、仕事しながらサッカーをするというのは、大変なことも多かったですね。それこそ、1年目のスタッフの時には、フットサル場の関連の仕事などもあったりしたので、朝練習して、夕方から夜までスクール、夜は、フットサル場で個サル(個人参加型フットサルのことで、その日に集まったメンバーでフットサルを楽しむことです。)やってたりして、夜12時くらいまで働いていました。それで、オフの日は1日仕事とか。

 

ブクメ:それだけの生活になっていたという感じですかね?

 

鈴木:そうですね。それで、2年間続けてきて、お金を貯めて。

 

ブクメ:それで、チェコ(FSC Stara Riseに2016年3月~5月まで所属)に行ったということですかね。ここへは、どのような経緯で入られたのですか?

 

鈴木:FTAで紹介された方の絡みですね。よくあるというのも変ですが、海外でやっている選手の知り合いという方ですね。

 

ブクメ:このチーム所属時は、いかがでしたか?ヨーロッパで言うと、東欧になりますかね。

 

鈴木:そうですね。ドイツの隣にある国ですけど、東欧ですね。

 

ブクメ:そうでした、そうすると東欧でも少し状況は、違いますかね。チェコは、国としては、いかがでしたか?

 

鈴木:良いところでしたよ。全然危ないこともないですし。ヨーロッパなので、きれいな街並みもありますし。人も優しかったですよ。

 

ブクメ:(比較的日本人に優しいと言われる)ドイツが近いこともあるんですかね?

 

鈴木:どうなんですかね。特に差別されるようなこともなく・・・というか、言葉もチェコ語で何を言っているのかよくわからなかったんですけどね。

 

ブクメ:なぜこういう質問をしたかというと、浦和レッズユース出身で現在フィリピン代表になっている佐藤大介選手が現在、ルーマニアでプレーしているのですが、サッカーのレベルは、高くて良いということなのですが、生活面などでは、そういうアジア人に対する目のようなところで、難しい部分も多いという話を聞いたものですから。

 

鈴木:もしかすると、トップリーグに行くと変わってくるかもしれませんね。私は、下部リーグで地域的にも田舎のチームだったのでそうだったということなのかもしれません(FSC Stara Riseは、インタビューの時点でチェコの4部リーグに所属するオーストリアに比較的近い、南部のイフラヴァを本拠地とするチーム。)

 

選手によっては、他に仕事をしていたり、どちらかというとチームとファンが近い距離のチームでしたので。やはり、1部リーグになるとそういうのがあるかもしれません。以前、スロヴァキアでそのようなことがあったような話を聞いたことはあります。

 

その辺は、感じ方の違いがあるのではないかなとも思いますよ。気にする気にしないだけでも全く違ってくるでしょうし。

ブクメ:なるほど。

 

鈴木:私は、そこは、あまり気にしないようにしています。

 

ブクメ:その時の外国人枠は、どのくらいありましたか?

 

鈴木:わからないですね。私がいたチームは、外国人は私含めて3人でした(鈴木雄太さんの他に日本人2人。)最初、3部のチームに受けに行くと聴いていたのですが、蓋を開けてみたら4部でした。3部に行った選手もいて、そこは、確か4人くらい外国人枠があったと思います。

 

ブクメ:やっているサッカーは、どんな感じでしたか?

 

鈴木:身長が大きい選手が多い国なので、大きく蹴るサッカーになることが多かったですね。細かくつなぐというよりは、早めにサイドを使ってクロスを上げるようなサッカーでした。

 

ブクメ:外国人枠は、どこで使われてましたか?

 

鈴木:どこですかね。私は、サイドでしたね。大学時代までは、サイドは、ほとんどやったことがなかったんですけどね。トライアウトでは、ボランチの選手は、目立ちにくいというのもありまして、そういう選手を求めているチームの監督には、わかってもらえると思うのですが、トライアウトでは、インパクトが大事で、1日で評価してもらう必要があるケースもあるので、サイドの方がアピールがしやすいと考えていて、実際チェコでは、サイドをやっていました。

 

実は、プノンペン・クラウンFCも最初はサイドで入ったんですけどね、トライアウトの時には。結果的には、ボランチになってました。

 

ブクメ:サイドだと、追い越して攻撃だったり、見栄えが良いというのもあるのですかね。

 

鈴木:そうですね、あとは、アシストだったり、ゴールに近いプレーもできますからね。

 

ブクメ:フォワードとかは?

 

鈴木:フォワードは、できないですね。1.5列目とかだったらまだできるかもしれませんが。鈴鹿ランポーレでも、サイドやってましたね。

 

ブクメ:そうですよね。プノンペン・クラウンFCでも、観戦した時にサイドをやっていた時がありましたが、攻撃参加など、サイドが慣れているように見えるプレーも多く見られました。

 

鈴木:そうですね。まあ、今は、色々なところがやれて良いですね(チーム事情や、けが人の関係で、色々なポジションを任されているという話も以前聞いていました。)

 

(ここで、プノンペン・クラウンFCの現在の状況や、私が勝手に見た感想などを語りつつ、雑談のような形になりましたが、ここは、個人の感想が入りすぎているので、省略します。実際にカンボジア人の中でプレーしている鈴木雄太選手の話の中で、カンボジア人選手は、日本のように体を作るための食事の摂り方などを教わっていないために、小さいけど強いという選手があまりいないようなイメージがあるという話は、興味深かったです。)

 

ブクメ:話をチェコ時代に戻しまして、ここには、それほど長くいなかったですよね?

 

鈴木:ヨーロッパは、VISAの取得が難しいとよく言われていますが、シェンゲン協定があって、3か月しかVISAなしではいられないんですね。で、それも行く前に、チームが決まればVISAは出してもらえるということだったのですが、結果的には、おりず・・・とは言っても、下調べをしっかりしなかった自分も悪いのですが、実際は、無理でした。お金をもらってプレーしていたのですが、プロでないといけないということで、国の法律の関係なのか、プロとして認められなかったということのようで、VISAは出せないと言われたんですね。

 

それで、結局3か月しかいませんでした。試合も結局、9試合出場して、リーグ戦の途中で退団する形になりました。

 

(ここで、海外あるある的なVISAの色々な話がでましたが、もちろんオフレコです。いずれにしても、ずるい方法を使いたくないということや、自分がチームからそこまで認められていないということを受け止めようという考え方をして、鈴木雄太さんらしい選択肢で去ることを選んだとも言えると思われます。)

 

上記の中で、いくつか書ける内容で参考になることを書きだします。

 

ヨーロッパやアジアなど、移籍先として良い話をきれいな部分が誇張されて入ってくることが多いが、実際は、難しい部分が多く隠れている。それでも、聞いた話をうのみにして、深く追求してから挑戦しようという人が少ない。鈴木雄太さんは、できなかったことで実際の経験から知ることができたことが大きかった、人のせいにしても仕方がないという考え方に持っていくことができたと語っていますが、経験した立場からすれば、良い情報が入ってきた時点で、できる限り自分で調べたり、人に聞いたりすることが必要だと思うと語っています。そして、仮に自分で100%準備できたと思っても足りず、現地で起こる予想していなかったことは多いとも語っています。

 

鈴木:(上記を踏まえつつ)私は、この時のことでは、それを知れたことで良いかなと、思いましたね、色々な感情はありましたけどね。それも含めて自分の実力かなと考えました。自分で選んで自分で決めたことなら後悔しないかなと。

 

ブクメ:ちなみに、最初の就職先を辞める時のように、ご家族の方には、その後の色々な挑戦も説明したのですか?どういう反応でしたか?

 

鈴木:話はしていますね。私の家族は、そういうことは、応援してくれる方なので。本当に感謝しています。色々思うことは、あると思うんですけどね。地元の場所柄、地域で情報が広がりやすいところがあるので、もしかすると色々と私が知らないところで言われているかもしれません。それでも、私の前では、何もないようにふるまってくれているのだと思います。それで、いつも背中を押してくれるので、幸せですね。恩返しができると良いのですけどね。カンボジアにも呼びたいんですけどね。仕事など忙しくてなかなか叶わないのですが。

 

家族も、結構、やりたいことを仕事にしているんですよ。そういうこともあって、応援してくれているのかな、とも思います。

 

ブクメ:そういう環境が用意されているのは、幸せですね。

 

鈴木:それでも、祖母には、心配されていて、実家に帰ると、言われるときもありますけどね。

 

ブクメ:世代的なものもありますかね。(サッカーとは、まったく違う私の仕事ですが、)私の父は、年代的に、鈴木雄太さんの祖父母の年齢に近いのですが、若いころには、なかなか私のやっていることが理解されずに、よくお説教されていました。

 

会社に勤めた方が安心とか、そういう雰囲気の事は、よく言われていました(今話を聞くと、何をするにも社会人の経験が必要でそこを経由しておくことが必要ということが内容に含まれていたのですが、当時の私は、素直に受け取れずイライラしていました。)

 

鈴木:時代は、変わりますからね。その時の流れを理解するのは、難しいかもしれませんね。私の祖母も、その国(現在挑戦しているカンボジアのこと)は、地雷の国ではないのか、大丈夫なのかと心配しています。実際、どの国も首都の発展具合は、変わらないですよね。

 

(ここで、カンボジアに関しての話で少し盛り上がります。おそらく、これを読んでいただいている、多くの年代の方でもカンボジアのイメージは、貧困や、地雷のイメージがあると思いますし、実際に、メディアに取り上げられるカンボジアも、日本が支援しているところをピックアップしたようないわゆる支援が必要な場所を焦点にして放送されることが多いため、そのイメージが定着してしまっていると思いますが、実際、そういう場所も多いですが、プノンペンやアンコールワットのあるシェムリアップなど、都市部の成長は著しく、おそらく、一度でも足を運んでいただくと、まったくイメージと違うカンボジアがそこにあることに驚かれると思います。)

 

ブクメ:それで、チェコの後は、もう一度タイに行ったんでしたか?

 

鈴木:いえ、タイには、行っていませんね。日本に帰ってきたのが、ちょうど去年の今頃(2016年5月)ですね。ちょうどアジアのマーケットが開く時期で、ヨーロッパのマーケットも開く時期じゃないですか。それで、色々模索したのですが、タイミングも合わずでした。

 

ヨーロッパは、まずシェンゲン協定でそもそも行くのは難しいんですよ。シェンゲン外だったら行けるんですけど。今回代表に選ばれた加藤選手(ブルガリアリーグのベロエに所属して日本代表にサプライズ選出された加藤恒平選手)のブルガリアのトライアウトもどうかとは言われたのですが、うまいこと行かず、どうしようかと悩んだのですが、それでも、まだ諦めたくは、なかったですので、そこから半年間、三重県リーグのチームに入りました。派遣社員として働きながら。

 

ブクメ:すごいですね。

 

鈴木:その半年もすごく大変でしたけどね。地元の友達には、ニートだろうとか、からかわれたりしていました。半分冗談、半分心配してですけどね。

 

その頃は、朝6時から働いていましたね。そのチームは、練習は週2回しかなかったので。3,4日は、公園で一人でボール蹴っていたりとか。

 

その時に、自分は、本当にサッカーが好きなんだなと思いました。

 

ブクメ:なるほど。それで、その後にカンボジアが来るわけですね。

 

鈴木:その前に、ミャンマーにトライアウトを受けに行っていますね、年末に。

 

ブクメ:ミャンマーはどうでしたか?

 

鈴木:私が受けたのは2チームで、その受けた2チームで感じたこととしては、環境は、カンボジアよりも酷い印象がありましたね。グラウンドも、トップのチームは、良いのですが、それ以外のチームは、カンボジアのオールドスタジアム(プノンペンにあるスタジアムの一つで、リーグ戦でも良く使用されるが、ピッチコンディションがかなり酷い。)みたいな、ほぼ土みたいな(これは、おそらく、以前のレッズランドの天然芝が荒れている時のような状況を想像していただくとわかりやすいかもしれません。)

 

(私が余計な話を挟んだのですが、少し付き合ってもらいつつ。)

 

鈴木:ここも良い経験にはなりました。

 

ブクメ:ここも、FTAの絡みからの紹介ですか?

 

鈴木:ここは、まったく関係なくて、海外でサッカーをやっている知人からの紹介で。オファーがあったのですが、ここも色々ありまして。それで、もう代理人をつけるのは止めて、自分でやろうかと思いました。

 

ブクメ:それで、今は、個人でやっているのですか?

 

鈴木:誰も代理人はつけていないですね。東南アジアであれば、いなくても可能性はあると思います。いた方が話はしやすいとは思いますが。

 

ブクメ:代理人も現在は、面倒な資格などがなくなって、ある意味誰でもできるようになっていますよね(2015年にFIFAの公認代理人制度が廃止になっている。) 私が代理人やっても良いくらいというか。

 

(ここで、代理人トークになり、盛り上がりましたが、ここもオフレコです。重要な部分を拾い上げると、代理人に関しては、極端に言うと個人でも簡単にできてしまう時代になっているので、信用しすぎないこと、自己責任であることを認識する。判断が難しいようであれば、信頼できる人に相談してみる。たとえ、その人が直接わからなくても、信頼できる人のコネクションで確認することはできることがあると思います。)

 

(この後、信頼性の話になって、私の話になりました。サッカーとは、関係ないですが、私責任で少し書かせてもらいますと、海外の場合は、日本人同士のつながりというのが余計に強くなる。これは、日本人の性質というのもあると思いますが、私個人の経験では、これまで日本人同士で会話していて、凄くきれいな話が多かったところが、ここ最近は、同じ日本人と関わってきたというカンボジア人と近い距離で付き合うことになったことで、日本人同士で話していたことと、カンボジア人から聞いたその人というのが、つじつまが合わないケースが割と多いなと感じています。信用できる方も多いですが、海外になった場合には、言葉も通じる日本人を狭い世界で信用してしまうケースも多いですが、それは、明らかに危険であるということも加えて書いておきます。)

 

(この後、再び脱線し、東南アジアのリーグの話や、カンボジアリーグ、更に、プノンペン・クラウンFCの話になりますが、チーム事情が含まれているので、省略します。この話の中で、特に鈴木雄太さんが強調しているのは、現在の指導者にすごく恵まれていて、様々な難しい状況もあると思うが、それでも指導者が、ぶれずに自分のやり方を出そうと努力、奮闘されているということでした。)

 

*写真を挟みます。プノンペン・クラウンFCのホームスタジアムとチケット。

 

ブクメ:それで、ミャンマーが上手く行かず、その後は、どうされましたか?

 

鈴木:最初は、ミャンマーから近いと言うこともあり、カンボジアも考えたのですが、ちょうど、その時、外国人枠が埋まっていて、それで、ミャンマーでプレーしていた以前カンボジアリーグでプレーしていた方と知り合って、色々話を聞いていて、カンボジアリーグであれば、環境としては、上位チームでないと、色々大変なことが多いと聞きました。それならば、他の国にしようかと考えました。

それで、フィリピンを考えました。

 

ブクメ:そこで、フィリピンなのですね。

 

鈴木:はい。フィリピンは、自分で考えて、色々チームにコンタクトを取って、英語はよくわからないのですが、そんなことが書いてあるのかなと思ったら飛び込んでという感じです。

 

ブクメ:具体的には、メールなど出すのですか?

 

鈴木:そうですね。メールか、あとは、facebookページですね。なんなら、facebookの方が早いですね。

 

ブクメ:チームでも、そういう方法を受け入れているのですか?

 

鈴木:そうですね、結局、現在所属しているプノンペン・クラウンFCも最初はfacebookでコンタクトを取っていますので。

 

(ここで、一つ触れておきますが、日本でのSNSの流行などは、正直なところ海外と比較するとかなり異質です。日本では、次のブームに移行させようとする動きと、それに乗ってしまう人が多いのですが、海外では、未だにfacebookが連絡手段としては、主流です。サッカー選手で海外を考えていて、ブームが去ったと言ってfacebookをやめてしまっていたり、まだ始めていないという方は、利用して慣れておくことをお勧めします。)

 

ブクメ:フィリピンでは、そのような形で練習会に参加されたということですね。

 

鈴木:そうですね、2チーム参加しています。1つ目のチームは、やや特殊で、3日間練習会をやりますと言われて、参加者が絞られていく形で最後は、12,3人になって、思ったより多く残っているなと思ったら、そこから、その残ったメンバーで1週間練習をして、それで週末に、フィリピン1部リーグのチームとその外国人チームで試合をしまして、それで決めると言われていたのですが、結果的に、それでうまく行かなかったんですね。

 

ブクメ:最終選考までは、鈴木雄太選手は残っていたのですね。

 

鈴木:はい。でも・・・、その時残っていたメンバーで現在加入して登録されている選手がいるかは、不明なんですよね。もともと、練習会をやった時点で、外国人枠は、4人ほど埋まっていたと思うので。フィリピンは、よくわからないことが多かったですね。

 

(ここで、浦和レッズユース出身の佐藤大介がフィリピンリーグのグローバルに所属していたことから、そこから得た情報などで、話が盛り上がりますが、ここも内容的に念のため省略します。)

 

鈴木:もう一つは、昔、伊藤壇さん(およそ20の国地域でプレーしている東南アジアへの海外挑戦のお手本とされる選手)がプレーしたチームですね。そこを受けていたのですが、そこも、色々大変でした。一応、最後まで残ったのですが、契約の話がなくて、最終的には、資金不足でリーグに参加しないとなって、話はそこで終わりになりました。

 

(2017シーズンから、フィリピンリーグは、これまでは、マニラの1か所で開催されるセントラル方式がとられていたところから、各チームがホームを持つことになり、例えば、佐藤大介が所属していたグローバルFCは、セブがホームになったり。移動も多く、資金的に多く必要になることなども影響したのかもしれません。)

 

ここまでで、インタビュー②を終了します。この後のインタビュー③では、いよいよ現在所属しているプノンペン・クラウンFCへの加入の経緯に入っていきます。

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