化けの皮でなく積み重ね

こんばんは。浦和サポブクメです☆

ここ数日メディアの情報などを見ながら、判断しながら、色々考えていますが、現時点で行う行動に関して、はっきりとどこまで行っても大丈夫なのかわからないということは多いのかと思いますが、例えば野球の開幕であったり、Jリーグの再開であったり、サッカーのサポーターとして身近な話題で言ってもそうですが、やはり、「いつから開催する」という決断に関しても、その事実以上に発言する人がこれまで与えてきたイメージが与える反発と言うのが大きく出ている印象がありますね。

私は当初、セリーグ開幕は予定通りと聞いた時にそれ自体には特に強く反論することではないなと思っていました。もちろんナイターはありえないし、電力消費の大きいところでの開催は当分控えるべきだし、被害の大きいところへの配慮は必要になりますが、その辺りが今できる限りの部分で配慮されていれば問題ないと思っていました。

ただ、発言した方のこれまでに回りに与えていたイメージが悪すぎましたね。これがもし、選手会の意見として配慮のある言葉と内容で理解を求めていれば、ここまでの反発は無かったのではないかと思います。

私は、この震災の後に、色々な人、グループ、事象など様々な部分で「化けの皮がはがれるな」と思って様子を見ています。実際に、今回のセリーグの開幕の件や、買占めをしてしまう人、余裕がなくなり粗探しばかりしている人、普段偉そうなことを言いながら、表立ったことを表明するだけで動けていない人。見えるところでしか動いていない人。それらについて、化けの皮が剥がれたとも言えますが、それもちょっと違っていて、今回ほどの大きな災害で何も考えずに普段どおり自分だけと思える人は余りいないと思うのです。

ただ、これまで周りに与えてきた印象や身勝手にやって積み重ねてこなかった人たちに対しては、やることなすことが反感の対象になってしまっているという事実はあると思うのです。これが、積み重ねで失敗してきた人達に今起きている現実だと思います。

コレと一緒にしてはいけないのですが、上記のケースとは別に被害が大きくない人の中にはまだまだ化けの皮を被ったまま人を騙し続けられる環境にも残念ながらあります。義捐金詐欺やガソリン盗難、善意を装った悪など、これらには十分きをつけなければなりません、このような時だからこそ。正直、極限の状況が起きているところでの善悪については私はあまり語りたくありません。その場では多少の善悪のバランスは崩れて当然だと思う部分もあるからです(もちろん、生きるために最低限でということで、壊れた信用金庫から4000万を盗み出すとかはありえません。)

やはり、人間としてしっかり生きていくということは必要なことだと強く思う最近です。

ところで・・・私の化けの皮も剥がれた部分があります。それは、行動に対して慎重さを持ちすぎてこのような事態なのにガムシャラに動けていないこと。相手への配慮や、物事を冷静に判断する前に動き出した方が良いことも多々あるのにその辺がこの期に及んでも半分くらいしかできていない。もどかしいです。

そんなことを考えました。

ではでは。